イブキの短編小説

1000字短編集・素朴な暮らしの欠片を拾う

イケてる赤色【短編】

f:id:IN-YOUNG-DONUT:20211010013007j:plain夏服から冬服の移行期間はどちらの制服を選んでも良かった。昨日まで冬服のブレザーの紺色と夏服の赤いベストがまだらに染めていた道が、今日は一気に紺色に染まった。友人同士で衣替えのタイミングを合わせた人が多かったのかもしれない。曇天の下の深海に自分の赤色がいやに目立って居心地が悪い。

私は視線を落として前を歩く同学年の女の白いソックスの間の先の地面を、焦点は合わさぬようぼんやり見つめた。家々に沈みかける夕日の真下辺りから、微かに夕方五時のチャイムのメロディーが聞こえる。聞きなれない童謡が私の赤い背中を笑う。

いくら走り続けても、空の青と畑の緑が終わるところが見つからないほどの田舎から東京の中学校に転校した。格好のつかない、気の抜けた方言、時代遅れの柄の文房具。それに囲まれている時には気づけなかった自分の「イケてなさ」を痛感した。都会の子たちの目に私はどう映るのか。人を楽しませる話術も、目を引くような転校生特有の特別感もない私を、今更仲良しグループに引き入れる価値なしと判断を下したことはすぐに察した。欠けた自尊心の一片が、せめて赤なら赤、紺なら紺でありたいと懇願した。

二つの紺色の集団に前後を挟まれて、逃げるように適当に人気のない道へ曲がる。甲高い喋り声が五時のチャイムと混じり遠ざかってゆき、やっと酸素が肺に満ちる感覚がした。靴が乗り物になったように勝手気ままに私を歩かせる。他人の家から香る夕飯の匂いがいつもカレーライスであるのは全国共通らしい。この日も赤屋根の家からカレーの匂いが私の鼻をくすぐった。

道端に落ちていた百円玉で、小さな焼き芋を一つ買った。寄り道、ましてや買い食いなんて校則で禁止なのに。もし誰かが芋を食べる私を見つけたらどうしよう。それが紺色の同級生だったら、校則を破る私を「イケている」と思うだろうか。つまらない想像が舌の上の甘い熱に溶けて消えてゆく。

焼き芋を売るワゴン車の上の真っ赤な紅葉が煌々と輝き揺れる。赤い光が私へ降り注いだ。この美しい景色にきっと私も馴染んでいるはずだ。イケてる赤色。

私は明日も夏服を着るだろう。

残り者には福がある【短編】

ブレーキの不快な音はたてずにピンク色の通勤電車がやってきた。そこに乗り込む労働者たちは皆、黄や水色など色とりどりのスーツで身を包んでいる。窓から覗いて見える澄み渡った青空、数えきれないほどの花々にゴミも雑草もない整然とした道は、実際に広がる景色ではなく、人が思い描く「理想の街」をCGで再現した映像を窓枠にははめ込んで写したものだった。脳に直接流れる軽やかなステップのようなピアノの旋律は未だ、ただのBGMだと自分に思い込ませることができずに耳障りな騒音のままである。耳を塞いだとて音は途切れず、俺は逃れる思いで目を固く閉じた。

戦後最悪の不景気、最多の失業者、最大の貧富の差。俺が生まれた頃はまさに負の時代だった。人を信用することを恐れ、誰もが鬱屈した表情を浮かべて生きることを唾棄したものだ。

政府が「幸せな国の再建」のために実施した政策はあまりにも強引なものだった。まず、負の感情に繋がる可能性があるアニメ、小説、ドラマや映画の創作物が禁止された。それらはハッピーエンドが義務付けられて、「死」はもちろん「失恋」や「失敗」などの描写すら規制された。その後も電子技術が発展するにつれて、人を「幸せの思考」へ導く装置は街に増え続けた。

それは新しい装置の一つだった。政府の検査により幸せと見なされた人を小説や映画の創作物へ転生させる制度ができたのだ。はじめは嘘のような装置に当然誰もがいぶかしがった。しかし先に消えていった人たちの作品が公開されるやいなや、作品の中で幸せに生きる姿に残りの者は羨望を抱かずにはいられなかった。次第に利用者は増え、今では、人は転生費用を貯めるために必死で労働に励んでいた。

同時に政府に認められるような幸せを享受している"素振り"をする努力も欠かさなかった。転生が行われる瞬間、謎の光が人を包むと、決まってその頬を伝る水滴が宝石のように輝いた。まるでその人の人生の中で一番の煌めきのように輝く。幸せを強制された国から逃れることこそ何よりの幸せだったように。

それから五十年程が経ち、俺が住む街からは人がごっそりと消え去った。誰も入らない書店には似た内容の転生小説が棚に息苦しそうに詰められ、段ボールにつまった新作を開封して並べる書店員はもはやいなかった。

街には息を吹き返したように虫や緑が心地よさげに揺れていた。自然の真ん中で深呼吸をすると桜の甘い香りが肺に滑り込んだ。他人の息を一つも含まない新鮮な空気。陽光は真っすぐ俺だけに降り注ぐ。残り者の俺は、有限の幸福をゆっくりと噛み締め始めた。

おはようみそ汁【短編】

空気清浄機とエアコンの無機質な作動音も寝静まった街のアパートの一室の中ではやけに大きく響く。寝室で眠る水本さんは、彼の特徴である地響きのような低い声からは想像のつかない小鳥のさえずりのような可愛らしい寝息を規則的にたてていた。家電までいびきをかいた薄暗い部屋で、俺は水本さんが目覚めるのを日が昇るよりも心待ちにする。やがて水本さんが起きて雷のように低い声で「おはよう」というと、俺は口をまごつかせながら「おはよう」と返す。俺は十二時間くらい前から起きていたし、やっとこれから眠るのに「おはよう」というのはなんとなく違和感があったからだ。

俺は会社に所属しない形でデザイナー業をしている。納期とクオリティさえ守れば、生活リズムはデザイナーの自由に支配できるのだが、俺もこんなつもりはなかった。明確に思い出せないけれど、あらかた制作に熱中するあまり夜を超えてしまったのを皮切りに嚙み合わなくなったのだろう歯車。再び合ったと思ったら、今度は反対の方向に回り始めて昼夜逆転生活が定着してしまった。たとえ他人と生活が反転してるとはいえ、充分に寝て、充分に働いているのだから問題ないと思ったが、カップラーメンにレトルト、冷凍食品という廃れた食生活だけは、水本さんも見過ごせなかったらしく、今では水本さんの作る毎朝のできたて朝食と作り置きのバラエティに富んだおかずと米を昼夜食べることが義務付けられた。義務といっても当然有難い話だが、寝る前に朝食を食べると惜しい気持ちになる。目覚めにすするみそ汁がどれだけ素晴らしいことか。

浅い眠りの淵に選挙カーが通りかかり目を覚ますと休日の真昼だった。油がぱちぱち跳ねる音とキャベツの葉がはがされる音が混じり、打楽器隊の演奏のようで、聞いていると意識も鮮明になっていく。台所を覗くとやはり水本さんが料理をしていた。手際のよい水本さんは同時に複数のおかずを完成させていく。メトロームが壊れてしまった生活をする俺の健康を下支えしてくれるおかずたちだ。野菜を切る時に大げさに揺れる水本さんの肩を陽光が温めていた。

翌朝、例の低い声と共に目覚めた。熟睡のせいでまぶたは半分も開かないが、わずかに覗く隙間へ容赦なく朝日が射しこむ。湯気がのぼるみそ汁は舌をじりじりに痺れさせ食道を通ると、胃に落ちて、体中に優しい温度を広げた。思わず感嘆をこぼすと、ほぐれてきた喉で「おはよう」と言った。

微笑み地蔵【短編】

夜九時を過ぎて駅前のスーパーの客足も遠のいてきた頃合いだ。駅から出てくるサラリーマンは皆一様に満月を見上げ、顔を綻ばせてから家路に着いたが、私は眼下に広がる幾多もの"たこ焼き"の見過ぎで、円形に辟易としてしまって、月など見る気が起きなかった。スーパーの駐輪場の一角に止まったたこ焼き屋のキッチンカーの中で、私は鉄板のうめきと鈴虫の音色のアンサブルを聞きつつ、コロコロと丸いのを転がしている。

「照り玉焼き一つ。」

大学生と思しき若い男がイヤフォンをつけたまま注文をする。男が全てを言い終える前に、私はすぐさま竹串を取り、無駄の一切ない熟練された動きでたこやきを詰めていく。トッピングまで終えるのに三十秒はかからなかっただろう。「ソースはお好みでどうぞ」とマニュアル通り締めくくったが、男は一瞥もくれず振り返り帰っていった。特に問題はない正しい接客だったと、またコロコロし始めると、店長が苦い顔をして私を見た。優しい人だが、強面なので夜の闇に突然浮かび上がるとかなり怖い。

 「篠さんスマイル足りないね」

接客チェックシートを持った店長はそう言った。新人がまず最初に合格をもらうであろう「笑顔」の項目に、私は未だばつ印がある。私は納得がいかない。ここは笑顔屋ではなく、たこやき屋だ。とびきり美味しいてりたま焼きを提供したら花丸満点ではないか。子供じみた屁理屈を飲み込むと、「すみません」と頭を下げた。

無愛想な人に笑ってやると、こちらが消耗する気がした。はて、と立ち止まる。同じ理由でお客さんは笑わないのか。いやいや、そちらが先に買いに来ておいて、先にやってきたのはたこやき屋か? いや、それは需要があるからで。答えのない堂々巡りは置いておいて、確かなことはお客さんが減れば、私の生活費が危うくなるということだ。

微笑み地蔵とすれ違う。秋の始まりだというのに、もう赤色の手袋を身につけていた。無償の微笑み。私のモデルだ。わたしはそれを写真に撮って待ち受けにすると、夜道に向けて「イーッ」と叫んだ。

宇宙船【短編】

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息苦しく縛られたネクタイを、仕事の重荷と一緒に緩めると、人の息を含んだ生暖かい酸素が肺に滑り込んだ。鬱屈した空気が漂う街も、平日最終日となるとどこか陽気さと開放感を持っていて、店たちのギラギラとした照明もいつになく華やかだ。眩しい光から逃れるように空を見上げると、厚い雲に覆われて三日月は輪郭を失くしていた。

腹の虫を刺激する飲み屋の匂いとは名残惜しく別れを告げ、やってきたのは都心の外れにある小さなプラネタリウムだ。八時から始まる最終演目の座席をとると、受付の塩田くんは、お久しぶりですねと微笑んだ。

この小さなプラネタリウムの年パスを買い始めて五年ほどになる。家路の乗り換え駅にあるここは、周囲が閑散としていて独特の非日常感が味わえる。ブランコしかないだだっ広い公園と隣接しているせいか、見た目はいかにも子供向けで、黄色と緑の変な模様を持った宇宙船の形をしている。だが、作りは馬鹿にできず、細部まで作りこまれた小窓からは今にも宇宙人が覗いてきそうなのだ。もっとも俺は夜にしか訪れないので余計にあやしさが増しているのかもしれない。

社会人一年目に通い始めてから五年で、俺には後輩もできて、指導者にまわるようになり、任せられる仕事も大きくなるばかりだけど、このプラネタリウムは、宇宙船はいつまでも都会の隅で小さく横たわっている。

俺を宇宙の魅力に引き込んだのはばあちゃんだ。一人っ子だった俺に、ばあちゃんは、星新一の短編集と宇宙船の模型を買い与えてくれた。あるかしれない星で悠々と暮らす異星人たち、雪のように降り注ぐ星。目を閉じると俺の宇宙はどこまでも広がる。長くてとりとめもない空想話をニコニコ聞いてくれたのもばあちゃんだった。そして、今日はばあちゃんの五年目の命日。今日は必ずここに来る必要があった。

天体がゆっくりと周り、俺は無数の星の中にじんわりと滲んでいく。宇宙船は俺を連れてばあちゃんのいるかもしれない遊星にたどり着くような気がした。

ことば【短編】

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気づくと僕を取り囲む世界は目まぐるしく変わっていた。いつからこんなに変わったのか定かではないけれど、思い出せることは、僕はずっとオレンジ色の暖かい海に漂っていたということだ。そこは端のない広大な海だった。僕はそこで見えないものを見て、聞こえないことを聞いていた気がする。

ここはとにかく眩しいところだ。かつては、包み込むような柔らかな光しか知らなかったけれど、ここでは光の線が刺してくように鋭い。全く優しくない光だ。僕が思わず「怖い」と叫ぶと、僕の隣の生き物は笑みを浮かべ優しく何かを囁いた。言語が違うようだ。何をいっているのか分からない。試しに「なんと言ったの」と聞いてみても、そいつはニコニコと笑っているだけだった。


ところで、「形」を意識し始めたのもこの頃だ。ちょうど今僕を包んでいる、柔らかくてザラザラしているのは、水の違って僕の動きに合わせて「形」を変えているし、僕の頭上でシャラシャラと小気味の良い音を奏でる緑色も変な「形」を持っていた。

目や口はないけれど、動いているのなら生き物かもしれない。言葉が通じるかもという期待を持って「こんにちは」と挨拶をしたら、応じるように、大きな緑から小さな緑の「形」をはらはらと落としてきた。何か見覚えがあると思ったら、これは僕の手に似ている。僕にも変な「形」があったのか。


しばらく手を見ていると、横にいる生き物が、その手にさらに黒い生き物を乗せて僕に向けてきた。僕はこの黒いのが苦手だ。大きな一つの目でギョロリと僕を睨みつけると、時折「カシャリ」と訳のわからないことを言う。こいつも言語が違うようだ。

困ったことに、ここには僕の言葉が通じる奴がいない。僕はそろそろ新しい言語を身につける必要がありそうだ。仕方がないので、まずは横にいる生き物の言語から学ぶことにする。そいつがよく言うのがきっと挨拶にあたるはずだ。こんにちは。

「ママ!」


風船【短編】

 七時を指す壁掛け時計とカーテンから透けて見える草やら気が目に入る時、いつもため息が出た。コピーしてペーストしたかのような、毎日変わらない朝と町。早くここから抜け出したいと思っているだけの私までも、コピーアンドペーストして今日に持ち越されてきてしまった。全てが苛立たしく思えて、誰に向けるでもなく、私はまた深いため息をついた。

 我が家が朝に見るテレビは、東京でも放送される定番の番組ではなくて、ローカルな情報しか流れない地方番組だった。一度、番組を変えてみないかと提案したが、母は不思議そうに「東京の情報しか流れないじゃない」と言った。確かに、その類の番組で特集されるのは、渋谷に新しくオープンしたスイーツショップだとか、お台場で開催されるフェスだとかで、私たちの生活に関わりのない世界の話だった。だけど、母のその言葉で私はもっと惨めな気持ちになって、聞くんじゃなかったと後悔した。

 小学生の頃から今まで毎年貰ってきた皆勤賞の賞状が全て廊下の壁に並んでいる。そこを通りながら、私は今日も褒められているというよりかは、むしろ監視されている気分になって家を出た。

 むかつくほど大きくて広い青空の下で、この町の人々は悠然と暮らしているのに、私だけが不満げな顔をしていて、町から浮いているようだ。遥かに広がる空は、「開放」より「圧迫」と表現した方が正しい。それは、丁寧にペンキを塗りこんだ阿保のように大きい天井で、上から私を押し込めている。

私はこんな田舎で終わるような人じゃないと空を睨みつける私の後ろで、自意識だけがむくむくと膨れ上がっていた。

 通学路の真ん中で、鞄に入れた携帯が鳴るのを振動で感じた。そうしてペダルを回しながら、上体を屈めると同時に石に乗り上げてしまい、私はサドルからはじかれる様に横転した。しばらく呆然としていると、突然体がふわりと地面から浮いた。何事かと、上を見上げると「自意識」とかかれた巨大な風船。そのまま風船はぐんぐんと上昇し続ける。街を一望できるほど上空へ浮かぶと、そこから私は風船に身を任せ、この町の営みをゆっくりと眺めた。

思いの外、空はどこまでも高く広がっていた。