イブキの短編小説

1000字短編集・素朴な暮らしの欠片を拾う

アイウォントチキン【短編】

目をつむれば、小人になった私が、ヒヨコが歩き回る箱に放り込まれているファンタジーな絵が想像できた。目を開くと、大きなホースみたいな階段口から水の如く溢れ出る、人、人、人。

彼らがピヨピヨと鳴くカードをかざしながら改札を通り抜けると、皆がのっぺりとした大量生産された労働者の顔から、それぞれが異なったしわを持つ一人の人間の顔を取り戻していた。

毎日顔を合わせている彼らは、互いの肩の開きが、顎が上を向く角度がいつもと違うことに気づいていた。刺すように鋭く散らばる互いの視線が、今日は曲線を描いて辺りを漂い、リボン結びで交わっている。

それに今日は何だか「色」が多い。頭からつま先まで黒で染まる人達の頬には、青赤黄の鮮やかな光が浮かび上がり、彼らの黒い瞳にも同じ色の光が宿っている。彼らの腰元には、赤い箱が大事そうに抱えられていたりもした。今日はクリスマスだ。

 

駅構内の隅、小さなケーキ屋の前に私は立っていた。私の視界の左側には積み上げられた赤いケーキの箱が積み上げられているのが見える。この店の店長と三人の店員の八つの耳は、途切れず流れるクリスマスソングを遮断して、代わりに人がこちらにやってくる足音に注意を向けていた。

うちの店のケーキが悪い訳ではなく置かれた環境だけが問題なのだと、マスクの下でフガフガしながら店長は言う。確かにこの駅をぐるりと見やると、馴染みあるチェーン店や「日本初上陸」と大層な売り文句を掲げたケーキ屋がいくつか並んでいた。

流行りのアニメのコラボケーキを抱えた少年が母親の手を解き、目の前を駆けていく。

先ほどの乗客の大体が去っていったのを確認すると、呼び込みを止め再び目を閉じた。腹が空いていて浮かんだのは、揚げあがったばかりのフライドチキンだった。試食のケーキに手を伸ばしかけるが先か、またピヨピヨとヒヨコの大群がやってきた。

店長の視線に気づいていないふりをして何食わぬ顔でそっぽを向いたら、はく息が震えた。

 

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綿矢りささん 「蹴りたい背中」の一文を引用。