イブキの短編小説

1000字短編集・素朴な暮らしの欠片を拾う

微笑み地蔵【短編】

夜九時を過ぎて駅前のスーパーの客足も遠のいてきた頃合いだ。駅から出てくるサラリーマンは皆一様に満月を見上げ、顔を綻ばせてから家路に着いたが、私は眼下に広がる幾多もの"たこ焼き"の見過ぎで、円形に辟易としてしまって、月など見る気が起きなかった。スーパーの駐輪場の一角に止まったたこ焼き屋のキッチンカーの中で、私は鉄板のうめきと鈴虫の音色のアンサブルを聞きつつ、コロコロと丸いのを転がしている。

「照り玉焼き一つ。」

大学生と思しき若い男がイヤフォンをつけたまま注文をする。男が全てを言い終える前に、私はすぐさま竹串を取り、無駄の一切ない熟練された動きでたこやきを詰めていく。トッピングまで終えるのに三十秒はかからなかっただろう。「ソースはお好みでどうぞ」とマニュアル通り締めくくったが、男は一瞥もくれず振り返り帰っていった。特に問題はない正しい接客だったと、またコロコロし始めると、店長が苦い顔をして私を見た。優しい人だが、強面なので夜の闇に突然浮かび上がるとかなり怖い。

 「篠さんスマイル足りないね」

接客チェックシートを持った店長はそう言った。新人がまず最初に合格をもらうであろう「笑顔」の項目に、私は未だばつ印がある。私は納得がいかない。ここは笑顔屋ではなく、たこやき屋だ。とびきり美味しいてりたま焼きを提供したら花丸満点ではないか。子供じみた屁理屈を飲み込むと、「すみません」と頭を下げた。

無愛想な人に笑ってやると、こちらが消耗する気がした。はて、と立ち止まる。同じ理由でお客さんは笑わないのか。いやいや、そちらが先に買いに来ておいて、先にやってきたのはたこやき屋か? いや、それは需要があるからで。答えのない堂々巡りは置いておいて、確かなことはお客さんが減れば、私の生活費が危うくなるということだ。

微笑み地蔵とすれ違う。秋の始まりだというのに、もう赤色の手袋を身につけていた。無償の微笑み。私のモデルだ。わたしはそれを写真に撮って待ち受けにすると、夜道に向けて「イーッ」と叫んだ。