イブキの短編小説

1000字短編集・素朴な暮らしの欠片を拾う

教えてくれない少年【短編】

ポタ、ポタ、とポニーテイルに結った髪の束から滴る水滴はゆっくりと背中を冷やしていく。 前から六列目、一番後ろの席に座っている私の視界に映るのは、首から上をパタリと折った5つの背中だった。 先生は、板書を終える度におやじギャグを言って、目の前…

妹にクッキーを、【短編】

まず、朝の5時から私を襲ったいくつかの感情に順序をつけて1つずつ解決していく必要があった。怒りと疑い、そしてまた、焦りと悲しみは両立できるはずがないのだから。冷蔵庫からの冷気は2月の朝の部屋にじんわりと滲んで、そこには境界がなくなっていた。…

「大学」というところ

近頃、多くの大学生がこんな事を口にする。「バイトが忙しすぎて大学の課題に手を連れられない」と。本来大学とは、特定の学問に興味を持った者が、学問的興味を満たすため、又は学問的興味を将来の仕事へ還元するために利用する学術機関であったはずだ。そ…

天秤【短編】

夫は瞳に水分を含ませ「もう勘弁してくれ」と力なくつぶやいた。 それはそっくりそののま私のセリフであり、せめて夫の手に握られた女性物のワンピースを床に置いてから話は出来ないのか... 妻は動揺を堪えながら「とりあえず下に…」とこちらもまた力なく呟…

姉の餃子【短編】

朝の灰色と打って変わり、午後6時を回った駅のあたりはほんのりとオレンジに染まっていた。電源が切られた電子ピアノの鍵盤を叩いた時のように素っ気なく空虚な音だった今朝の足音も、今では愉快な曲に混じるリズミカルな打楽器のように弾んでいる。ピンクと…

それを知る前の自分にはもう戻れない【短編】

汗にまみれ、吸っているのか吐いているのか分からなくなるほど呼吸のリズムを乱した私を前に、それは呆気なく閉じた。加速度を上げて動き出した電車は大げさに風を起こして、私の鎖骨に溜まった汗を嫌みたらしく冷やしながら去っていった。登校時刻の1時間前…