イブキの短編小説

1000字短編集・素朴な暮らしの欠片を拾う

教えてくれない少年【短編】

ポタ、ポタ、とポニーテイルに結った髪の束から滴る水滴はゆっくりと背中を冷やしていく。

前から六列目、一番後ろの席に座っている私の視界に映るのは、首から上をパタリと折った5つの背中だった。

先生は、板書を終える度におやじギャグを言って、目の前に座る下田さんに反応を求めていた。人の好い下田さんは、眠気と良心の間で緩やかにヘドバンをしながら揺れていた。

 

強すぎないクーラーの冷風は、優しく私の素肌を撫でて、私はまるで裸でシルクの布に包まれている感覚だった。

意識を繋いでいた細い糸が、プツンと切れて目を閉じようとした。

 

「……テストに出るからチェックね」

 

数人の生徒がポツポツと頭をもたげ始める。

先生が何やら大事なことを言ったらしい。

 

ちゃんと聞いていた人はいないかと周りを見渡すと隣の関口くんは背筋を立て、熱心にノートをとっていた。

 

黒くて柔らかそうな髪の毛がさらさらと揺れていた。

そいえば、男子の体育は水泳ではなかった。

 

どこがテスト範囲なのかと聞くと、

「あ…わからない」と目線を泳がせ言った。

 

関口くんはずっとこうだった。授業はいつも真面目に聞いているくせして、私の質問にはいつも

、わからない、わからない、わからない…。

 

もしかしなくても嫌われているのだ。授業を真面目に聞かず、関口くんの頑張りを頂いていこうとする私を軽蔑するのは当たり前だった。

優しい関口くんのせめてもの抵抗が「わからない」なのだ。

 

切なさと同時に眠気がまた私をつつく。

 

 

「次の授業なんだっけ」

「えっと…ごめんわからない」

 

「関口くん数学得意?」

「どうだろう…わからない」

 

やけくそになって矢継ぎ早に聞いてみても「わからない」。

低くて静かな声がふわりと漂って私を包む。

 

歪な会話が可笑しくて唇から息が漏れ出た。

 

瞼がゆっくり降りていく。

 

最後の力で握っていたペンがコトリと机に落ちた。

 

 

「関口くん好きな人いるの?」

 

「…君」

 

ピンクの風が二人の髪を揺らす。

その声が現実か夢かはわからなかった。