「大学」というところ
近頃、多くの大学生がこんな事を口にする。
「バイトが忙しすぎて大学の課題に手を連れられない」と。
本来大学とは、特定の学問に興味を持った者が、学問的興味を満たすため、又は学問的興味を将来の仕事へ還元するために利用する学術機関であったはずだ。
それがなぜ、学びよりもアルバイトを優先させる大学生が一定数存在するのか。
代表的な理由として、新卒採用や学歴による足切りなど日本特有の雇用条件が挙げられる。
大卒か否かで給与設定が変わるのだ。
無論、電気製品会社の開発部など、職につく前に一定のスキルや知識を要するような職業は、必要条件として学歴の条件を設ける必要がある。
しかし大部分の仕事は学問的な予備知識が必要ないのにも関わらず、学歴によって給与差を作るため、結果として大卒資格が欲しいだけで、学ぶ意欲が生まれず、大学の勉強よりもアルバイトを優先させる大学生を生むことになった。
大学で学んだ事を軽視し、表面的な経歴だけを考慮した会社の制度が大学の意義を変えた言って相違ない。
では本来の大学の意味を取り戻すためにはどうしたら良いのか。
まず大学というのは、「好きこそ物の上手なれ」という言葉を体現した場である事を忘れてはならない。
興味を持った事柄に対して自然と学びたいと意欲が湧いた時に、自ら楽しんで学習することができる。そして自ずと成果もついてくるのだ。
しかしたった18歳の若者達全員が、その歳で自分が深めたい分野が見つかるとは限らない。
従って、ゆとりを持った進学観を日本全体で獲得する必要があると考える。
アメリカで教師として働いていたとある女性は、30代で教育心理学に興味を持ち、仕事を辞め心理学者を目指し大学院に入ったそうだ。
人の学問的興味がいつ生まれるのか分からないにも関わらず、18歳で決断を迫られる現在の社会では、大学の意義は破壊され、学生は目標や意欲を持たず4年間を過ごす。
この異常な状況に、社会は目を向けるべきである。