イブキの短編小説

1000字短編集・素朴な暮らしの欠片を拾う

曲がり角【短編】

英単語を追うよりも、落ち葉がカラカラと地を駆ける乾いた音に意識が連れていかれていることに気づき、英単語帳を自分の傍らに閉じて置いた。

季節は神がスイッチ一つで管理しているのか、冷たい冬は突然始まった。お気に入りの秋服を満足に着る暇もなく秋が過ぎ去ったが、この頃はその小さな惜しさも相手に出来ないほど心は落ち着きを失ってしまっている。二十歳の俺の、三度目になる芸大受験が刻一刻と迫っているせいだった、

美術予備校横の冴えない公園に並ぶ三つのベンチには、幸の薄そうなOLとホームレスらしき老男性と袖を絵の具で汚した芸大浪人生の俺がそれぞれ腰かけている。北風がいたずらに踊り狂う冬の昼下がりに、皆わざわざ野外で時間を潰していた。彼らがどんな幸福と後悔を味わって生きたのか、彼らの人生の道がどうして、この公園に繋がっていたのかなど互いに知る由もない。

俺はきっと「失敗」と記された標識が指す曲がり角を人より多く曲がったようだ。かつての仲間がいなくなった予備校から逃げるようにこの公園に駆け込み昼休憩をやり過ごしている。

名前を呼ばれたとき、呼び出されたのが俺ではないことを必死に願ったが声をかけた若い男と関連がありそうな奴は三人の中でやはり俺だけだった。その若い男は予備校からほど近い大学に通う高校時代の同級生の高橋だった。咄嗟に単語帳を隠そうとしたが遅く、奴はそれをちら、と見やると眉の端をゆっくり下げ、美大でも学科試験はあるんだよな、と誰に向けたわけでもなく呟いた。三年ぶりの再会でもそれらしい挨拶はない。

高橋はかつて俺の美術を学ぶという進路を肯定的に見て応援してくれた唯一の人だった。俺のデッサンを大袈裟に褒めたたえ、一時は俺の作品が高橋の携帯の待ち受け画面になったこともあった。いつかは俺を支えた大切な思い出はいつの間にか、埃を被った日記帳のように開くのも煩わしく捨ててしまいたいと思うようになってしまっていた。

 

高橋は昔のように俺の肩にずしりと腕を乗せると、今年は大丈夫だ、と明るく呪文のように唱えた。それとほぼ同時に高橋の大学の友人と思しき男性が数人現れ、高橋はその集団に合流するとにわか雨のように去っていった。

結局はOLもホームレスも高橋も、路傍ですれ違う通行人に過ぎない。互いの道が交差してたまたま出会っただけだ。

俺と高橋がもし次に出会うのなら、俺らはどんな曲がり角を曲がった後だろうか。見えない標識を見ようと固く目を瞑る。落ち葉はいつのまにか動きを止めていた。