イブキの短編小説

1000字短編集・素朴な暮らしの欠片を拾う

撮像素子【短編】

最後にこの部屋に陽光が満ちたのを見たのはいつだったか。

残業を終えて帰宅した午後9時、窓から侵入してカーテンを通り抜けた弱弱しい街灯の明かりが家具達の輪郭を浮かび上がらせていた。

そのまま部屋は電気を点けずに小さな二人掛けソファに沈み込むと、ふと腰のあたりに凹凸を感じた。腕を腰の方へやりごそごそと探り、ネイルを施した爪に引っかかったそれは、今朝脱ぎ捨てたブラジャーだった。爪に乗ったパールとパールと萎れたブラジャーの組み合わせが可笑しくてけらけらと笑ってやった。

 

衣食住は保証されたそれなりの企業に入社して誰でもできる仕事をこなす毎日だ。若い人ならではの、女性目線で。そう言って、表面上では意見を求めるふりをして、仕事に精を出そうとすると上司同僚からは煙たがれた。

結局、入社3年目の私がここで得たのは「社会の中での女の生き方」だった。

だから、義務を果たすように、美容室とネイルサロンに通い「女性」になろうと努力している。

 

目的もなくスマートフォンの画面を撫でていると動画配信アプリの通知が鳴った。

慌てて姿勢を正し、慣れた手つきでアプリを開くと14秒前に生放送が始まっていた。タイトルは「今日もお疲れ様」、その後ろに黄色のハートが添えてある。

たとえば。私が帰宅してからすぐに「お疲れ様」と生放送が始まることとか、今日私が黄色のブラウスを着ていたことは全て偶然でしかないのだけど、そんな些細なことが私を生かして、私はこの暗い部屋に帰ってくるのだと思う。

 

言葉を交わしたことはなかった。私が彼を見つめるとき、彼が見ているには上に流れていく文字の羅列だろう。

四角く切り取られた彼の周りに何が広がっているのか知ることはできない。

 

彼の声は漏らさずに汲み取りたかったから、いつもイヤフォンをした。ところが、俄かに、音声が途切れ途切れになり、ノイズが生じだした。所詮は電波を伝った音声だ。

 

君の肉声は私の耳をどうやって振動させるんだろう。

 

合っているとは言えない目を見つめ続けていると、充電切れのため映像がぷつりと途切れた。部屋は相変わらず薄暗かった。